芸術家は顧客の声を聴くべきか? ~マーケットイン・プロダクトアウト 二元論を考える~

六本木ヒルズで展示されている村上隆五百羅漢図展を観てきた。

会社を設立してアートをビジネスとして捉える彼の手法に興味が湧き、村上隆著の芸術企業論を読む中で、自分の中に生まれた疑問がこうだ。

「エンタメは、マーケットイン・プロダクトアウト、どちらで創造されるべきか?」

技術経営論で有名な延岡によるそれぞれの定義は以下の通りだ。(図参照)

マーケットイン:市場や顧客の顕在化したニーズに応える商品を開発する
プロダクトアウト:自社の独自技術を採用し商品を開発する

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延岡は著書「MOT[技術経営]入門」の中で、急成長を続けている市場においてはマーケットインでも一定期間利益を得ることができるが、コモディティ化が進んだ市場においては通用しない。そうした市場ではプロダクトアウトし競合企業と差別化を図ることが重要であると述べている。

さらに、プロダクトアウトの中にも良し悪しがあると述べている。

良いプロダクトアウト:自社の独自技術を採用しながら、顧客の潜在ニーズを捉える
悪いプロダクトアウト:顧客ニーズを無視し企業のエゴを押しつける

潜在ニーズとは、顧客自身がまだ気づいていない、または明確に表現できないニーズのことだ。
Steve Jobsも述べているように、顧客の声を聴くだけでは良い製品は生まれない。

“It's really hard to design products by focus groups. A lot of times, people don't know what they want until you show it to them.”
-Steve Jobs

 

「芸術家」の中で際立った村上隆の良いプロダクトアウト

「芸術家」と聞くと自分の好きなように作品を制作し販売することには興味を持たないと言ったイメージを持つ人が少なく無いだろう。そうした中で村上隆は異端だ。
彼は自分の顧客を欧米の富裕層と定義する。欧米では評価の高い美術作品を買うことで社会的に尊敬される土壌があり、また作品を寄付すれば税額控除の対象になることから作品売買が盛んなのだが、そうした彼らに認められるには、「作品を通して美術史での文脈を作ること」が必要だ。つまり、欧米では新しい観念や概念を提示することが、芸術作品の評価の理由になる。

村上隆は日本独自のオタク文化を「スーパーフラット」と言う新しいコンセプトで観念化した。
西洋美術の移植に失敗した日本において独自に育ってきた大衆文化である漫画やアニメは平面的で二次元的だ。
そうした二次元的なサブカルチャーをハイアートの中に組みこむことで、美術史に新しいゲームを提示した。
この新しい観念は欧米人に受け入れられ、彼の作品は競売で1億円の価値がつくまでに認められている。

悪いプロダクトアウトが横行している美術界の中において、村上隆の手法は典型的な良いプロダクトアウトだ。
顧客に何が評価されるかを研究した上で、潜在ニーズを掘り起こしたのだから。

 

エンタメは良いプロダクトアウトに向かうべきか

最初の問いに戻ろう。

「エンタメは、マーケットイン・プロダクトアウトどちらで創造されるべきか?」

必ずしもプロダクトアウトであるべきだとは私は思わない。
なぜなら、そもそもプロダクトアウトは不確実性が高いし、延岡は論じていないがエンタメ業界では良いマーケットインが存在するからだ。
私なりの定義はこうだ。

良いマーケットイン:顕在化した顧客ニーズに応え、(確立されたIPと掛け合わせることで)新しい価値を創造する
悪いマーケットイン:顕在化した顧客ニーズに応えるが、新しい価値を産まない

前回述べたドラゴンクエストビルダーズは、良いマーケットインの典型的な事例だと思う。
ゲームコンセプトを端的にいうと、「MineCraft×ドラゴンクエスト」で、MineCraft的遊びが市場に受け入れられた(ニーズが顕在化)ことを受けて、開発に取り組んだ。マーケットインは通常差別化が難しいのだが、すでに世界観を確立した強固なIPを上手く掛け合わせれば、顧客に新しい価値を提供することも可能だ。本作でもお馴染みのモンスターや武器、懐かしい音楽などドラクエの世界観がMinecraft的遊びをより楽しい遊びに昇華している。
開発の肝となるのは、MineCraft的遊びに適合しながらも、ドラクエ的遊びや世界観をしっかりと入れこむことだろう。
ポケモンだって、LEVEL5だって、IPを強固なものにした以降は、良いマーケットインを繰り返している。

 

芸術家は顧客の声を聴くべきだろうか?

聴くべきではない。そこに答えは無い。
ただし、顧客の潜在ニーズを考えるべきだ。

 

エンタメはマーケットイン・プロダクトアウトどちらで創造されるべきか?

IPを産み出す過程では、プロダクトアウトは欠かせない。
一度世界観が受け入れられた後は、場合によってはマーケットインでも新しい価値を創造できる。

 

これが今のところの私の結論。
それでは!

 

参考:

 

芸術企業論 幻冬舎
MOT[技術経営]入門 日本経済新聞社

LEGOはなぜマイクラを創れなかったのか? ~破壊的イノベーションの本質~

 
MineCraft(以降マイクラ)が日本で売れ続けている。2015年9月のファミ通の発表(*1)によると、PSフォーマットで累計販売数100万本を突破。PC版を含めると世界ですでに5,000万本以上が売れている(*2)。あのスーパーマリオブラザーズでさえも累計4,000万本(*3)なのだから、驚異的な数字だ。
なぜマイクラは成功したのか。そして、早くからデジタルブロックのポテンシャルに気づいていたブロック玩具の覇者であるLEGO社がなぜ失敗したのか、考えてみる。
 
日本人の多くは知らないと思うが、マイクラがリリースされる4年前の2005年10月にLEGO社はデジタルブロックを駆使したオンラインゲームLEGO Universeのプロジェクトをネットデヴィル社と共同で立ち上げている。子どもたちにレゴの安価な代替品を提供できる、ネットを通じてバーチャルなレゴ作品を一緒に組み立てられると言った可能性を信じ、自社の古いビジネスモデルを破壊することに挑戦したのだ。
開発期間5年、開発費2000万ドル、開発に関与した人数350人以上の及ぶ壮大なこのプロジェクトは2010年10月にリリースされ、わずか15ヶ月間でサービスをクローズした。サービス加入者が約4万人、ゲームを始める際のパッケージソフトが$40だったことからリクープに程遠い結果に終わったことは言うまでもない。
一方で、マイクラはMarkus Perssonという一人の天才によって数ヶ月で創りだされた。上述の通り驚異的な売上を記録しており、過去10年で最高のゲームと称される。一人の天才による奇妙な創作物がLEGO社がスペースシャトルを打ち上げるがごとく開発投資した巨大プロジェクトを容易に凌駕してしまった。どうして、こんなことが起きたのだろうか。
 
イノベーションのジレンマで有名なクリステンセンの考えによると、成功する破壊的イノベーションの原則は以下の3つだ。
 
①過剰満足者あるいは非消費者を顧客ターゲットとすること
②必要にして十分である価値を重視すること
③既存の競合他社がやりたがらないこ と、やれないこと、やることに関心がないことを行うこと
 
マイクラとLEGO Universeの場合、特に②と③で大きな差がついたと考察する。
 
②必要にして十分である価値を重視すること
LEGO Universeに出てくるブロックは、現実と同じく一つ一つに「LEGO」と刻印されている。LEGO社の品質に対する誇りがグラフィックに対しても妥協を許さなかった。高品質であることはアナログなレゴブロックの成功要因の一つでもある。パチっとはめた時の爽快感は粗雑に作られたブロックでは決して得られないし、誰もが参入出来そうなブロック玩具業界は品質という見えにくい参入障壁にも守られてきた。結果として、この完璧主義はLEGO Universeではマイナスに作用した。ブロック一つを描画するのにメモリを多く消費することから、一度に画面に表示するものを削減する他無かった。つまり、デジタルブロックの遊びの際に必要のないブロックのグラフィックへのこだわりがゲームとしてのグラフィックを弱めたのだ。
一方で、マイクラはどうだろうか。プレイした人は分かると思うが、グラフィックは決して素晴らしいものではない。かの有名なクリーパーは豚を描画しようとした際に誤って産みだしたものだ。Markusは高精細なグラフィックを描く術を知らなかったし、興味も無かった。ただ、マイクラをプレイし始めるとユーザーは不思議な魅力に取り憑かれ熱中していく。自分の手で建築物を次々に創りあげることが楽しくて仕方ないのだ。私も寝る間を惜しんでマイホームを建築し、クリーパーの脅威から身を潜めたものだ。
グラフィックへの過剰なこだわりはサンドボックスというゲームジャンルにおいてはゲーム性を損なう可能性が高い。アナログなブロックで成功していたLEGO社は過去の成功体験に囚われ、イノベーションのジレンマに陥った。無論、開発部隊を完全にスピンオフさせて自由に開発を行わせれば、結果は異なっていたかもしれない。
 
③既存の競合他社がやりたがらないこ と、やれないこと、やることに関心がないことを行うこと
LEGO社にはやれず、Markusにやれたことがある。それはゲームを未完成な状態で発表したことだ。Markusは粗削りな状態のゲームをα版としてリリースし販売している。自分のアイディアがどう受け入れられるか、早い段階で世に問うたのだ。開発記録をオープンにしユーザーから改善するための要望を掲示板で集った。実際にMarkusが反対していたクリエイティブモード(敵は出現せず自由に建築を行えるモード)はユーザーの強い要望によってβ版で実装された。
開発途中のゲームを早い段階でリリースすることがLEGO社内で許されるとは決して思えない。オンラインゲームを専業にしているような会社ならば、βテストにユーザーを参加させることは良く行っているが、バグだらけのα版を販売することは珍しい。失うものないMarkusにはそれが可能だった。破壊者としての強みを存分に活かしたのだ。
 
クリステンセンが予言したかのように、マイクラの成功とLEGO Universeの失敗は破壊的イノベーションの論理に当てはまる。LEGO社はHBRのケースで紹介されるようなイノベーティブな会社だ。そうした企業でも破壊的イノベーションを起こすことは出来なかったのだ。
ただし、マインドストームやニンジャゴーと言ったイノベーティブなプロダクトの成功でレゴブランドは復権しているし、マイクラの影響でアナログなレゴブロックの売上が鈍化したわけではなさそうだ。もしかすると両者は共存し、むしろ相乗効果を生み出す関係になるかもしれないので、本当に「破壊的」だったかどうかは現時点では判断出来ない。
 
クリステンセンの論理は十分過ぎるほど両社の得喪を説明するのだが、
エンタメにフォーカスして自分なりの仮説を付け加えるならばこうだ。
 
「エンタメ業界においては、少人数が独善的に考えたコンセプトの存在なしに破壊的なイノベーション決して生まれない」 
 
マイクラではMiningとCraftingという遊びが上手く結びつき、ゲームとして新規性やロジックが存在するのに対し、LEGO Universeではアクションパートと建築パートがいささか分断されているような印象を受ける。比較すると、遊びとしてはマイクラの方が断然面白いし奥深い。
Markusが一人でゲーム開発を行い、どうすれば面白い「遊び」になるか一気通貫でコンセプトを練ったのに対し、LEGO Universeのプロジェクトはブロックを組み立てる平和的なゲームを作って欲しいというLEGO社上層部とオンラインゲームを創るならば多少の暴力性やアクションを加えないとゲームにならないと思っていたネットデヴィル社の対立構造で進められ、どういう「遊び」にするかと言う核の部分の議論が十分にされずに進んでしまった印象を受ける。デジタルブロックは一見すると非常に素晴らしいアイディアのように思え、どんどん外枠からプロジェクトが固まったのだろうが、ただブロックを組み立てるゲームは面白みを欠く。(マイクラがもしクリエイティブモードだけならば、私もあのゲームに取り憑かれていなかっただろう。)
LEGO社は自分たちはゲームのことは分からないから、その役割はネットデヴィルがやるべきだと考えていたかもしれないが、プロジェクトの外枠を固める前に責任者を配置し、どういう「遊び」にするかを熟慮すべきだった。
 
先日ドラゴンクエストビルダーズが発売され、このIPが成功するとサンドボックス開発に参入する会社(特にIPホルダー)がより増えるかもしれないが、
革新的な遊びのアイディアなしにプロジェクトを進めてしまうのは非常に危険だろう。
 
自戒も込めて。
 
それでは!
 
参考:

マインクラフト 革命的ゲームの真実 KADOKAWA/角川学芸出版
レゴはなぜ世界で愛され続けているのか 最高のブランドを支えるイノベーション7つの真理 日本経済新聞出版社
イノベーションへの解 実践編 翔泳社

*1
プレイステーションフォーマット向け『Minecraft』の国内累計販売本数が100万本を突破
http://www.famitsu.com/news/201509/16088648.html

*2
PC版『Minecraft』が1,500万本セールスに到達、シリーズ累計では5,000万本にほぼ到達へ
http://www.gamespark.jp/article/2014/04/30/48181.html

*3
VG Cartz Game Database
http://www.vgchartz.com/gamedb/?name=&console=&publisher=&sort=Total